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タイ国ラジャマンガラ工科大学名誉博士号授与

11月4日、タイ国立工科大学の卒業式に招待され、名誉博士(持続可能エネルギーと環境)の学位を授与されました。これまでも複数の国から数例の名誉博士や名誉教授の栄を受けていますが、特にタイはアジア・太平洋地域のEM普及の中心となっており、多数の国家プロジェクトにEMを活用し、EM立国を着々と進めていますので、今回の栄誉は特に感慨深いものがあります。

PROFILE
ひが・てるお/1941年沖縄県生まれ。EMの開発者。琉球大学名誉教授。国際EM技術センター長。アジア・太平洋自然農業ネットワーク会長、(公財)自然農法国際研究開発センター評議員、(公財)日本花の会評議員、NPO法人地球環境・共生ネットワーク理事長、農水省・国土交通省提唱「全国花のまちづくりコンクール」審査委員長(平成3年〜平成28年)。著書に「新・地球を救う大変革」「地球を救う大変革①②③」「甦る未来」(サンマーク出版)、「EM医学革命」「新世紀EM環境革命」(綜合ユニコム)、「微生物の農業利用と環境保全」(農文協)、「愛と微生物のすべて」(ヒカルランド)、「シントロピーの法則」(地球環境共生ネットワーク)など。2019年8月に最新刊「日本の真髄」(文芸アカデミー)を上梓。2022年(令和4年)春の勲章・褒章において、瑞宝中綬章を受章した。

タイにおけるEMの活用状況については、本サイトはもとより、私の著書にもDNDなどでもたびたび紹介しましたが、名誉博士号の授与のきっかけとなったのは2011年10〜11月に起こったタイの歴史的(1000年に1度)大洪水後のEMによる衛生対策です。本件についてはEM研究機構にも国の専門対策委員会に対する参加要請もあり、私も顧問的な立場で協力しましたが、詳しくは本サイトやDNDや「新・地球を救う大変革」でも述べたとおりです。

ラジャマンガラ工科大学はタイ国最大の国立工科大学で、各地に分校を持ち、年間数万人が卒業するというマンモス校です。タイにおける最初のEMの工場は、その大学本部の位置するランツトエリアで、歩いて行けるくらいの隣接地でスタートしたのも奇遇といえます。

私の学位は4月にラッタナコシン校の理事会から本部に推薦され、同校の11月4日の卒業式で授与されましたが、私が4人目で外国人としては初めてとのことでした。5000人の卒業生が一堂に会する様はまさに圧巻ですが、その卒業式の厳粛さに、ある種の感動を覚えました。まず国王名代のシリントーン王女が点火式を行い、5人のお坊さんたちによる成就の祈りの続く中、私が最初に王女から学位記を授与されました(写真1)。

写真1

シリントーン王女は、かすかにほほ笑んでいましたが、24年前のことを誰からか知らされていたのかも知れません。このシーンは全国に放映されましたので、多くの人々がそのほほ笑みに驚いていました。すべての学位記や卒業証書は直接シリントーン王女から卒業生に手渡され、最後に国王からの祝福のメッセージをシリントーン王女が読み上げ、会場全体が感動と感激の渦で満ち満ち溢れていました。

その後、代表が前に進み出て、国王や国家に対する感謝と同時に、これを機に国をよくするため、国家の人材となるべく研鑽(けんさん)に励む旨を一項目ごとに全員で力強く宣誓し、卒業式は終わったのです。

延々4時間(王女は途中15分の休憩)5000人あまりのマンモス卒業式は一糸乱れず、ある種の快感を覚える緊張の中で行われました。このようにまとめるにはかなりの訓練が必要であり、私も何度も練習させられました。夜の大学主催のレセプションで理事長から「長くて大変だったでしょう。感想はいかがですか」と聞かれました。相手は私が日本のようにもっと簡略にすべしという返事が来るものと思っていたようです。

「王室の皆様には大変にご苦労なことですが、今後も緊張感と祝福にあふれるこのような卒様式を続けるべきです。大学を卒業するに当たって、社会や国家の人材ならんとする宣誓式は社会人になるための自覚を促し、社会をよりよいものに進化させる社会的DNAとなるもので、タイ国発展の本質的な潜在力を発揮させる仕組みとなっています。今のタイ国の繁栄もその潜在力に支えられており、この継続は歴史を重ねると共に、国の本質的な力として成長するようになります。その結果、タイは年月と共に本当にいい国になります。かつて日本でも、そのようなセレモニーがありましたが、今はなく、残念に思っています。」


大洪水(2011年)でのEM活動出陣式では軍、環境省、社会開発省が参加
私のこのような話を聞いた理事長や学長は驚き、そして感動し、国家における大学とその締めくくりの卒業式のあり方にあらためて誇りを感じてくれました。今回のラジャマンガラ工科大学の名誉博士号の授与と同時に、私は同校が主催する「エコ建築とエコエネルギー」に関する国際会議の名誉会長も引き受けることになりました。したがって12月中旬に再び訪タイし、さまざまなアドバイスを行うことになり、EM技術による省エネ事業のモデルも立ち上げることになりました。

11月5日は私を推薦してくれたラッタナコシン校で名誉学位授与記念講演を行いました。EM関係者、タイの住宅公社、社会開発省、陸軍の関係者も多数参加し、旧知を温める機会ともなりました。

また、ラッタナコシン校とはエコ建築やエコエネルギーや環境分野について、さらに進んだ共同研究を行うことになり、住宅公社の現場で実証することも決まりました。

タイ国へのEMの導入は1986年10月です。その成果は目覚ましく、EMをアジア地域にも広げるために、1989年の秋にEMと自然農法に関する国際会議を、当時琉球大学と姉妹校であったタイ東北部のコンケン大学で行われることになりました。私はその準備も兼ねて、コンケン大学の25周年記念式典に招待されました。

王室から国王の名代でシリントーン王女が来られるとのことでした。私は国王の農村復興プロジェクト(キングプロジェクト)でEMによる刮目すべき成果が上がっていましたので、シリントーン王女にそのことをより深く理解してもらおうと思い、アフリカのブルキナファソで開催された、世界有機農業会議で使われたEMに関する私の英語の論文を、シリントーン王女に献呈することを提案しました。直前になって、このようなことは前例がないが取り次いでみましょうということになり、何のクレームもなく、すんなりと決まってしまいました。その夜、私は献呈の仕方を何度も練習させられました。後々に知ったことですが、シリントーン王女は微生物については深い理解を有しておられるとのことでした。

写真2

写真2はその時の状況で、1989年2月6日と記されています。当時タイの東北部は大干ばつ続きで、農村は疲弊しており、EMはその解決策として注目され始めていました。献呈の理由は、すでにキングプロジェクトなどなどで実証されたEM技術でタイの農業問題(特に東北部)と環境問題に貢献したいことと、その第1回の国際会議が10月にコンケン大学で開催されるためというものでした。

このようなハプニングはまったく異例のことで、コンケン大学の関係者はタイ国におけるEMの将来を共に祝ってくれました。10月の国際会議は大成功に終わり、APNAN(アジア・太平洋自然農業ネットワーク委員会)が結成されました。APNANはバンコクに拠点を置き、名実ともにアジア・太平洋のEM普及の指導機関として機能しています。今回の訪タイを機に、これまでの農業と環境中心のEM技術に加え、医療健康、土木建築、各種工業、エネルギーおよび省エネ分野にもシフトし、EMの未来型モデルをさらに発展させたいと考えています。

(2013年12月2日)

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