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追悼記 樹木医・長谷川芳男さんを偲ぶ 今年も満開でした 吾妻山公園の菜の花畑
富士山と相模湾を眺望する吾妻山公園に咲き誇る菜の花(写真提供:二宮町公園緑地班)

吾妻山と菜の花と"花咲か爺さん"

今年も1月から2月にかけて神奈川県二宮町の吾妻山公園は早咲きの菜の花を愛でる人々で賑わっています。標高約136メートルの山頂周辺2500平方メートルにわたって咲き誇る6万株の菜の花の彼方に富士山と相模湾が一望できる絶景を求めて、人々は300段の石段とさらに続く未舗装のスロープを登って来ます。二宮町・公園緑地班の話では、例年約16万人が訪れていて、コロナ禍の2020年と2021年も毎年約12万の人が訪れました。

同町が誇る花の名所づくりに地元の樹木医・長谷川芳男さんとボランティアグループ「地域の環境を良くする会」(秋沢久男代表)の存在があります。 2017年3月(2019年再放映)NHKアーカイブで制作放映された新日本風土記「富士山と菜の花」では、吾妻山の菜の花畑から富士山を望む画像と共に、地元でちょっと知られた"花咲か爺さん"と長谷川さんを紹介しました。 この時から3年余、"花咲か爺さん"こと長谷川芳男さんは2020年11月17日、難病・骨髄異形成症候群のため88歳で急逝されました。亡くなる間際まで、手掛けた現場の状況を気遣っていたといいます。
若い頃ノルディックスキー選手で活躍したという頑丈な足腰で現場を駆け巡っていた長谷川芳男さん
若い頃ノルディックスキー選手で活躍したという頑丈な足腰で現場を駆け巡っていた長谷川芳男さん

<参考>「富士山と菜の花」 │NHKアーカイブ制作:新日本風土記


家族連れが集う公園管理にEM使用

そもそも吾妻山公園に菜の花が植えられたのは1998年で、二宮町から管理を委託された造園会社が町の観光資源として菜の花を植えたのが始まりのようです。当時、造園会社で1級造園技能士として勤務していた長谷川さんは、公園内にあるトイレの環境整備にEMを導入したことをきっかけに、菜の花の育成にもEMを使って薬剤をできる限り使わない、家族連れが安心して楽しめる吾妻山公園の基礎を作ったのでした。長谷川さんは、その後2003年に73歳の最高齢で樹木医の資格を取得。同期の樹木医に呼びかけて2007年に、自然環境保全を主旨とした「NPO自然への奉仕者・樹木医協力会(以下樹木医協力会)」(小野寺佳郎理事長:現在会員40人)を立ち上げ、全国区的に活動の場を広げていきました。

吾妻山公園は2008年から二宮町の直営になりましたが、長谷川さんは、「地域の環境を良くする会」がEM活性液を培養して町へ卸す仕組みを作り、その後も樹木医協力会のメンバーらと吾妻山詣でを続けました。2019年、「ハクサイダニ※1」が大量発生して菜の花畑が全滅の危機に直面した際も長谷川さんは二宮町都市整備課公園緑地班の楠田光孝班長と共にEM活性液とEM・3S※2を散布して蘇生に一役。楠田さんの後を継いだ野崎陽介班長は「この後病害虫の被害は出ていません」と太鼓判。

※1 ハクサイダニ・・・アブラナ科野菜、ホウレンソウなどに多く発生。ダニ目ミドリハシリダ科。低温期に局所的に多発して枯らすことがある。登録薬剤はない。
※2 EM・3Sは、光合成細菌主体のバチルス菌を共生培養した液です。生きた微生物と、微生物が作り出したカロチノイド、アミノ酸などの有効成分が、植物の生育を旺盛にしたり、甘みや色づきを良くしたりします。<(株)EM研究所ホームページより>


「地域の環境を良くする会」にはEM活性液培養装置と5器の1tタンクがあります。
「地域の環境を良くする会」にはEM活性液培養装置と5器の1tタンクがあります。 良質のEM活性液は装置内の清潔にイコール。1級施工管理技士の資格を持つ長谷川さんは装置を解体して清掃、組み立てること容易で品質保証付き

「地域の環境を良くする会」にはEM活性液培養装置と5器の1tタンクがあります。
長谷川さんと吾妻山公園整備に関わってきた公園緑地班の皆さん。楠田光孝さん(中央)は、現都市整備課道路班に移ってからも側溝などの清掃にEMを使い続けている


没後1年 長谷川さんを偲ぶ会

2021年11月28日、長谷川さんが亡くなられてから1年を迎えるにあたって、二宮町町民センターで「長谷川さんを偲ぶ会」が樹木医協力会の呼びかけで開かれました。村田邦子町長は「長谷川さんの愛した二宮町の一番の誇りは、長谷川さんがEMや落ち葉などを使って蘇生させた吾妻山の菜の花畑とせせらぎ公園の花しょうぶ園。長谷川さんのアドバイスで"花つみ娘"に扮したこともありました」と在りし日の出来事を披露して長谷川さんを追悼しました。樹木医の仲間らも「吾妻山に来て富士山を見たら長谷川さんからのたくさんの教えを思い出す」など、それぞれに思い出を語り合いました。
長谷川さんを偲ぶ会であいさつする村田邦子町長
長谷川さんを偲ぶ会であいさつする村田邦子町長


関係者は感涙。菜の花一大イベント

長谷川さんが樹木医として関わり、実績を上げた現場は数多くありますが、その中でも横浜市とは関りが深く、2017年に神奈川県横浜市で開催された第33回全国都市緑化フェアでの功績は記憶に留めたい一つです。
緑化フェアの準備が進んでいた2016年6月、吾妻山の菜の花畑を見た横浜市の担当者が長谷川さんに打診してきたのです。「50haの広大な里山ガーデンに菜の花と花しょうぶを満開に咲かせてほしい」と。EM使用を前提に引き受けた長谷川さんですが、「これを半年で・・」「開幕まで発酵時間が足りない・・」先が見えないスタートでした。すでに横浜市から委託を受けた造園会社が入っていましたが、長谷川さんは造成から管理まで一貫した業者が入るのを望み、信頼関係を築きながらの作業になりました。
2016年12月末当時の菜の花畑。谷戸の地形は日陰も多く、日照条件にもバラつきが。霜によって生育の悪い(左肩部分)ところは防霜シートが被せてある
2016年12月末当時の菜の花畑。谷戸の地形は日陰も多く、日照条件にもバラつきが。霜によって生育の悪い(左肩部分)ところは防霜シートが被せてある

里山ガーデン(旭区上白根町)は、もともと水田が広がる湿地地帯のため葦がぼうぼうと生え放題。最初の難関として、雑草対策が待ち受けていました。長谷川さんは横浜市環境創造局公園緑地整備課の担当者と交わした当時の作業工程を詳細に記録していました。
「7月末までの造成を見込んで、手始めの雑草対策に米ぬかペレット300kg /10ha、塩入EM活性液2t/10aを投入し防草シートで覆う」「1週間後、50℃に上がった地温で雑草の種は発酵し、発芽を防ぐことが出来た」「10月に菜の花の種を撒けるまでになった」。さらに、1月から2月にかけては降雪や霜の被害から苗を守るため防霜シートを手配。日当たりと日陰の部分での苗の生育状況に気配りするなど長谷川さんの心も体も緊張の連続の月日が過ぎ、そして3月。菜の花は25日の開幕に合わせたように一斉に開花。それまでの裏方の苦労など知る由もない来場者は菜の花の群舞に歓声を上げ、楽しんだのでした。

3月25日の開幕に合わせたかのように満開に咲きそろった菜の花畑。「菜の花のジュータンを敷きしめたようだ」と歓声が上がった
3月25日の開幕に合わせたかのように満開に咲きそろった菜の花畑。「菜の花のジュータンを敷きしめたようだ」と歓声が上がった

後々長谷川さんは、「開幕に合わせて一斉開花した菜の花を見て、造園業者や横浜市の担当者らが涙を流して喜んでくれた」「冒険も顧みず引き受けたが、こんな大きな仕事にEMを使って結果を出せたなんてラッキーだった」と満面の笑みを浮かべながら述懐していました。
(文責:鹿島)

<記者感>
「樹木医は樹を治せない。治癒力を高めるお手伝いをするだけだよ」口癖のように言い続けた、謙虚な人でした。長谷川さんが携わった樹勢回復の現場は地元神奈川県内にとどまらず山形県長井市の樹齢1200年の巨古木「久保サクラ」まで樹木医協力会の方々と足を延ばされていたと聞き、樹木との会話を楽しむのにどん欲なまでの探求心が若さの秘訣だったのかと。亡くなられた喪失感は大きく、なんとか長谷川さんが関わった検証の現場を記録に残したいと長谷川さんから寄せられた資料、データの山に埋もれながら1年余りを過ごしてしまいました。後輩の育成にも力を入れていて、高齢とはいえやり残した感があっただろうと惜しまれます。貴重な検証データをどこまで記述できるか自問しながらですが、"花咲か爺さん"から"桜守り"までを3回に分けた追悼記で紹介いたします。(鹿島祐子)

2022年3月3日


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