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エコ・ピュア ウェブマガジン 特集・レポート


2011年3月11日の東日本大震災から12年の歳月が過ぎました。津波と原発事故という2重の苦難に見舞われた福島に全国からたくさんのEM関係者が救援の手を差し伸べたのは周知の通りです。原子力緊急事態宣言はいまだ解除されていませんが、人が住んでもよい区域は拡大されています。今回は福島で様々な困難にめげず農業を続けてきた人たちの声をお届けします。

◆ キズある梨は甘くなる 大内果樹園 大内孝・有子さん(福島市)

福島市笹木野で梨農家を営む梨農家の大内孝・有子夫妻とお会いするのはほぼ10年ぶりです。2011年夏と冬で、今思えばまだまだ混乱していた時期です。ぶしつけな質問に答える大内さんも有子さんも聞き手の私も緊急事態下、ある意味で興奮状態だったかもしれません。線量計で放射線量を測りながらの取材でしたが、その数字がどうであれ、今ここで暮らす農家の声を拾わずにはいられないと同時に「しばらくの間は避難した方がいいのでは」という想いを伝えきれないもどかしさがあったのも事実です。

孝さんの地べたからの哲学、「代々続く農地を見捨てることはできない」。
できることはやるという農家のプロ意識。それが放射能という最大の危機での支えだったといいます。EMたい肥、剪定、皮を剥ぐなどあらゆることを畑に施し、意外にも短期間で土壌の放射線量から梨に移行する係数は少ないとわかりました。しかし、福島産というだけで消費者から敬遠されます。
「それは当然だったかもしれない。でも、生産物の梨を敬遠されただけではなく、農家として否定されたように感じた。このトラウマはほぼ多くの福島の農家が今でもぬぐい切れないのではないか?」
福島の農家の努力に対して国民はあまりにも冷たい、助けあいの精神はどこにあるのかと今でもその思いが消えないと訴えます。

そして今心配なのは、地球温暖化だと続けます。花が咲くのが早くなっているがその後、雹(ひょう)が降ると実にならない。単に季節が前倒しになるだけではない。日本の気候そのものが変わりつつあり、果実だけではなく農業の形や地域の食文化などに大きな影響が出るのではないかと憂います。これには全国の農家が戸惑いながらも悪戦奮闘している現状。消費者は理解しているかと問います。

一方、有子さんは震災の経験を経て、人権意識が欠如している脱原発運動に疑問を持ち、自分で考え立ち上がるすべを身につけなくてはいけないとCAPプログラム(子どもたちへの暴力防止プログラム)に参加。地域の子ども食堂の運営にも携わり、これからは公害で被害を受けた水俣の人々との交流をしたいともいいます。

震災を経験して様々な思いを抱いた有子さんが2017年に出版した絵本「トントンのようちえん」を見せていただきました。家族を失った少女とナシ園に暮らす猫のあたたかな交流を描いたお話で、「キズのある なしはね とてもあまくなるんだよ キズをなおすためにえいようがいっぱい あつまるから とびきりおいしくなるんだって」と猫が少女に語りかける言葉が印象的でした。

・この取材日のことが書かれている有子さんのブログはこちら
[「和解」の物語 in 福島 | 福島・未来塾すばる]
https://fukushima7apple.blog.fc2.com/blog-entry-630.html

・当時の記録や作物への思いがわかる大内さんのwebサイト [福島☆未来塾すばる]
https://fukushima7pleiades.web.fc2.com/index.html

◆ 帰ってきた人とEMでつながる 福島EMクラブ 佐藤和幸さん(福島市)

福島EMクラブの佐藤和幸さんと仲間たちの和やかな声が春の光に満ちた農園に弾みます。
この農園を立ち上げた佐藤さんは生協を定年退職した後、福島市の農のマスターズ大学に入学。20人の仲間と6反の荒れ地を開墾し、EM活性液やEMたい肥を使用して有機の畑を作りました。育てた野菜を生協の直販コーナーで販売したら大好評!学校給食にジャガイモを提供したり、近くの保育園の園児たちが体験学習にやってきたりと食を通じた交流の場となっていきます。ふかふかした肥沃性の高い土壌はなによりも自慢で、ここまでは順風満帆でした。その矢先に震災が起こります。

震災直後、福島市内の東側は放射線量が多く農地の施用が制限されました。そんな中、EM関係者から大量のEMボカシが届き、EM活性液も散布することができました。すると放射能不検出の野菜が採れたのです。しかし、その野菜を食べてくれる人がいない、とメンバーの多くは農業を辞めていきました。その後、制限は解除されましたが、その間に離農した人も多く、地元に戻ることはありませんでした。

しかし、佐藤さんはあきらめず、コツコツと土づくりを続けていました。福島駅前のマルシェでEMボカシづくりのデモンストレーションをしたり、スーパーや道の駅に野菜を販売したり。美味しい野菜は消費者との関係を徐々に縮めていきます。そのような活動を続けているうち、EMで畑をやりたいという人たちが佐藤さんの元に集まってきました。
今では有機栽培から自然栽培へと移行すべく緑肥づくりや整流炭づくりなど新しい情報を試しています。さらに自然栽培の種を植えて自家採取まで行い、理想の市民農園にしたいと意欲満々。

「有機農業をやる人も家庭菜園をする人も一緒に、美味しくて健康な野菜をつくるという同じ目標にそれぞれが自分でできる範囲で頑張りたい」
参加している人たちが理想とする市民農園の形が整ってきた、と佐藤さんは手ごたえを感じています。 そして、そんな佐藤さんが期待を寄せているのが、「EMで土づくり」の講座が開かれている伊達市霊山町にあるNPO法人りょうぜん里山学校です。

●里山の夢はあきらめない NPO法人りょうぜん里山がっこう
高野金助・すみ子さん(伊達市)

伊達市霊山町のNPO法人りょうぜん里山がっこうは、地域の活性化のため2000年に開校しました。元となった石戸中学校は少子高齢化の波を受けて廃校となった後、一度はニット工場として活用されましたが、その工場も廃業。この築70年以上の校舎を地域に根づく豊かな暮らしの学び舎にリニュ―アルしたのが代表理事の高野金助さんとがっこう長の高野すみ子さん夫妻です。

高野さんはこの学校の近くに暮らす代々の農家の長男ですが出稼ぎにはいかないと決め、冬でもこの集落で生きていけるように原木しいたけの栽培を始めました。紆余曲折を経て椎茸栽培は成功し、この地域の名産となりました。しかし、農家の高齢化に伴い過疎化は進むばかり。そんな中で高野さんは「里山の自然と文化を 〜 誰でも先生、誰でも生徒」というコンセプトで設立したのが「りょうぜん里山がっこう」でした。知恵と技を持つ地域の人々が先生となって様々な講座が開かれ、県内外の人たちが訪れる新たな交流の場になっていました。

しかし、2011年の震災により沈黙の春は突然訪れ、ここ霊山町も原発から70kmで避難勧奨地域となりました。
――国や他人を頼ってもだめだ。自分たちの力で立ち上がらなくては。
この間も高野さん夫婦は「地元の人が志をもって自分主導で展開する。これを社会的処方と呼ぶ」という学校のモットーを原動力として、地道に活動を続けました。

今一番力を入れているのが、2019年から始めた「大石3ちゃん倶楽部」のEM土づくり講習会です。3ちゃんとは、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん。今現在は専業農家ではなくとも、かつて土に親しんできた人たちばかりです。人生100年野菜は健康な土壌から、という視点で(株)EM研究機構の奥本秀一さんを講師に腕を磨いています。

「野菜を自給しながら地域の人にもおすそ分けする。そうやって農地と集落を守ることができるのではないか」。震災の影響が少なくなって一安心したところにやってきたコロナ禍を乗り越え、ようやく霊山町の里山に希望の春が訪れたようです。

●牧草とエネルギーを育てる 瀧澤牧場 瀧澤昇司さん(南相馬市)

「餌の高騰、牛乳の生産過剰など畜産農家の悲鳴が聞こえてくる今、瀧澤牧場は大丈夫だろうか」と、どちらかといえば暗い気持ちで南相馬市に向かいました。しかし、瀧澤昇司さんは元気はつらつ。差し出された名刺には「T・アグリプロダクト株式会社 代表取締役」とありました。なんと畜産農家兼営農型ソーラーシステムの会社を興したのです。

震災当時、EMの情報を得た瀧澤さん。EMたい肥で育てた牧草は放射能の移行が少なく、牛に食べさせても問題がないことがわかりました。このまま畜産を続けられるかという自問自答はありましたが、まず手始めに賠償金で牛舎の屋根に太陽光を設置。2013年から発電を開始し、近くの耕作放棄地で営農型ソーラーシステムを設置していきます。

原発事故の後、東京の人がどのような脱原発運動をしているのか知りたくて代々木公園の集会に紛れ込み、デモを経験。その後、知り合った世界平和アピール七人委員会の写真家・大石芳野さんから「放射能の問題を解決するのに何年かかると思っているの?原発はダメ」と忠告を受け、農地で牧草と自然エネルギーをつくる、という事業に乗り出します。買い取り価格は急落していますが、原発を再稼働するわけにはいかないという強い思いがあります。

本業の畜産についてたずねると「餌の価格は2倍、子牛の価格は2分の1で苦しいことには変わりはないが、企業が乳牛と共に牧草を買い取ってくれる、これがありがたい」と笑顔で話します。もちろん、瀧澤さん同様に38頭の牛たちも健康そのものでした。

●土壌微生物を信じる 石井農園 石井孝幸さん(須賀川市)

須賀川市畑田の石井農園を経営する石井孝幸さんは佛教大学卒後、建設会社に勤め、その後、故郷に帰り農家を継ぐという経歴の持ち主です。1993年「地球を救う大変革」を読んで農業を志し農業法人を経てEM、EMボカシ、EMたい肥を使った土づくりの基本を学びました。現在は(公財)自然農法国際研究開発センターの普及員です。

以前は、難しいといわれる無農薬無化学肥料のキュウリやレタスを栽培して「EMオーガ」のブランドで高級スーパーに出荷していました。
ところが、2011年春に状況は一変。出荷停止が相次ぎ、取り引きは1割以下になりました。しかし、EMによる放射能対策情報をすぐに得ていたので、時間がかかるが必ず復活できると信じて野菜を作り続けました。放射能検査の数値はすぐに出荷できるまでになりましたが、福島産という理由でなかなか取引再開とはなりませんでした。福島はキュウリの生産量日本一で外食産業にとっても、キュウリが入らないことは痛手だったはず。
地道な取り組みの結果、現在では豊洲市場にも出荷しており、石井さんの自然農法キュウリは有名レストランなどでふるまわれています。

震災前も今も力を入れているのが、自身の子供たちが通った小学校での環境教育です。EM活性液を使ったプール掃除などを続け、子供たちに微生物の力を伝えています。
「自然にそった農業、生き方が大事」という信念は震災後、ますます頑強なものとなったようです。


果たして、いつまで「フクシマ」というフィルターを通してしか福島を見られないのか、という疑問が福島の人にも、福島以外で暮らす人にもあるのではないでしょうか?放射能はそう簡単な相手ではないということは誰でも承知していますが、科学者も政府も、誰もが見解を出せない状況下にある福島で生きる農家に心を寄せることはとても大事なことです。
実際に畑に立つと、腐食の多い日本の土壌の特異性、有機農家の土づくりの蓄積が農の危機を救ったのではないかと思わざるを得ません。お会いした方々のEM=有用微生物群への信頼は絶大なものがありましたが、それを伝えた人への信頼、協力してくれた人々への感謝もたくさん伺いました。
蒔かぬ種は生えぬ。種をまき続けた福島の農家に幸あれ、と願わずにはいられません。

取材 / 2023年3月中旬 文責:小野田

(2023年5月19日)

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https://www.emro.co.jp/treatise/

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