過酷な避難生活が続く原発事故の避難者、川内村など一部除染の後の帰村が始まっているが、大部分の避難者はまだ帰還の目処すら立っていない。ここ福島県伊達郡桑折町は福島市から北へ約10数キロメートル、この地も原発事故の風評被害に悩む果樹地帯。江戸時代は銀山があり、奥州街道と羽州道の分岐の宿場で、明治以降は蚕糸業で栄えた。戦前は郡是蚕糸(現グンゼ㈱)の製糸工場があり、戦後は組合立の製糸工場となって平成になるまで存続し、廃業後は町の中心部に広大な工場跡地が残っている。


町の中心部にある仮設住宅

仮設の壁には浪江町の標識が
歴史のある街がゆえに町内には造り酒屋、名主屋敷跡などの歴史的な建造物も多く東日本大震災では倒壊等の被害も目立った。しかし、震災後4月には早くも町の製糸工場跡地に仮設住宅を設置し原子力災害等の避難民の受け入れを始め、その後300世帯が入居できる県内でも最大級の仮設住宅が整備された。

桑折町では15年以上前から環境アドバイザー制度を設け、EM生ごみ堆肥化によるリサイクル活動を推進してきた。それらと連動するように婦人団体である「桑折町くらしの会」や「桑折町商工会女性部」が、EM活性液、EM廃油せっけん作り等の活動をはじめ、さらに、より機動的にEMの普及や活用を図るため、今年9月には町内外の有志により「こおりEMエコクラブ」が設立された。

原子力災害による桑折町の仮設住宅の入居者は約230世帯。その他、借上げ住宅で生活する避難者もいる。ここへの入居者はすべて双葉郡浪江町からの避難者だが、同一町内からの避難とはいえ、避難指示の遅れや不徹底から着の身着のままの避難で県内・外を転々として、ここに落ち着いたケースが大半であり、「当初は隣人の顔も分からない環境であった。」と応急仮設住宅自治会の小澤是寛会長は話している。


仮設集会所での贈呈式 蓬田絹会長(左)と小澤仮設自治会長
小澤会長によると仮設住宅での生活は過酷を極めると言う。夏暑く冬は寒い、壁の薄さや窓の配置により生活音やプライバシーのことで気の休まることは無いとのことである。冬は防寒対策で住宅を閉め切るため結露が発生して、冬でもカビでカーテンが真っ黒になってしまうこともあるようだ。たまたま仮設住宅の近所に住み、このような状況を目の当たりにしていた「こおりEMエコクラブ」の蓬田絹会長はエコクラブ内で協議し、小澤仮設自治会長にEMの活用を進言した。とりあえずの支援策として、東北EM普及協会の協力を得て仮設全戸にEMWを配布することにした。


EMWの使い方を説明
12月4日に仮設自治会への贈呈が自治会事務所のある仮設住宅第2集会所で行われた。入居者に対して、エコクラブの鈴木副会長から使用法の説明が行われ、入所者からは悪臭、防カビ対策などへの期待が寄せられ、さらに収納スペースも無い仮設住宅で、入居者のわずかな癒しになっている鉢やプランターなどへの利用も話された。小澤会長からも「不自由な中でも少しでも健康で快適な生活をするためにご好意をお受けし、お礼申し上げます」と感謝の挨拶があった。「こおりEMエコクラブ」では、継続的なEMの活用のためにEM米のとぎ汁発酵液などの講習会を開催するなどして、今後とも仮設住宅入居者の支援を続けるとしている。(駐在員 石崎弥生)

2012年12月19日


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