レポート(トピックス)

東日本大震災から12年~気仙沼にて

【レポート】
東日本大震災から12年~気仙沼にて

2011年3月11日の東日本大震災から12年が経過しました。三陸沖を震源としたマグニチュード9.0の巨大地震は大津波を伴い、岩手、宮城、福島三県をはじめとする太平洋沿岸に大きな被害をもたらしました。警察庁が2022年3月時点でまとめた震災による全国の死者と行方不明者は震災関連死を含めると2万2千人に上っています。気仙沼市は宮城県内で石巻市に次ぐ多くの痛ましい死者数(1204人)を出しました。
今回、震災後気仙沼市内で「EM100万t浄化作戦」を展開し、避難所の環境浄化や悪臭対策に効果があると地元紙に再三にわたり活動を紹介された三陸EM研究会・理想産業(有)の足利英紀さん(79歳)を訪ねてお話をお聞きました。

足利英紀さん
足利英紀さん

◆我が家が流されていく・・・

あの日あの時刻、足利さんは近隣の街へEMの米づくり、花づくりの現地指導に行った帰路でした。突然の大きな揺れに車を停めて、瞬時に脳裏に浮かんだのは50余年前のチリ大地震。時間差で襲った津波は三陸海岸に集中し、甚大な被害をもたらしたのです。「今回の地震は、その比ではない!」
我が家がある南町は港から約100メートル海抜ゼロメートルのところで、漁港と共に繁栄してきた商店街。我が家まであとわずかな距離まで来た高台で津波が町を襲う光景に目を奪われました。店舗兼家屋は丸ごと津波に飲み込まれたはず。「すまない、助けに行かれない」店を守っている妻の和子さんを救いに行けないわが身を責めながら、車を方向転換し避難所になる中学校に身を寄せました。震災直後の混乱の中、つながらない和子さんの携帯電話に連絡をとりながら、他の避難所を探し回って3日目、避難所駐車場に停めていた「理想産業(有)」の名前入りトラックを和子さんが見つけたのです。「言葉が出てこなかった。お互い、そこにいることを確認することで精いっぱいだった」と振り返る英紀さんと和子さん。
すべて流されましたが、夫婦は商店街から車で10分ほどの赤岩牧沢地区にある妻の実家に落ち着くことが出来ました。

復興事業で設置された仮設店舗で営業再開から5年後、妻の実家隣りに店舗を移設(2023年3月撮影)
足利英紀さん

◆妻の一喝に目が覚めた

避難中、妻の実家でスタートした「EM百万t浄化大作戦」敢行中の看板と共に
避難中、妻の実家でスタートした「EM百万t浄化大作戦」敢行中の看板と共に

20年来馴染んでいた店舗兼住宅とEM資材も流され、意気消沈していた足利さんに和子さんが掛けた一声は、「あなたにはEM技術があり、与えられた使命があるんでないの」。「この一声で目が覚めた」と、足利さん。これまでも台風や水害などの災害支援でEMが効力を発揮したことや、2004年に発生したスマトラ沖地震ではタイ国陸軍がEM活性液をフル活用して悪臭・衛生対策に効果を上げたなど数多くの事例を思い出し、がぜん奮い立ち、地震発生から1週間後、残っていた資材を元にEM活性液の仕込みに取り掛かりました。EM活性装置「百倍利器」と出来上がった活性液を入れる1tタンクは流されてしまったので、仕込みは連日手作業です。「ありがたいことに、ポリ容器(10リットル)に入ったEM活性液と米ヌカ150kgがトラックの荷台に残っていたのが役立ちました。」

◆EM散布のためのボランティアが続々と

3月23日、救援物資の第1弾で(株)EM生活の社員さんが車でEM活性液50リットルを届けてくれました。早速、避難所の仮設トイレにEM活性液を散布し、EMボカシを設置。各避難所では、環境学習でEMを知っている子どもたちが率先して手伝ってくれたことで、避難している人たちにも好意的に受け入れられました。
その後、(株)EM生活や(株)EM研究所などからEM資材や物資が届き、百倍利器1台、1tタンク2器も設置され、すでに始まっていた遺体安置所(4ヵ所)や避難所(92ヵ所)での消臭対策に拍車が掛かりました。また、県外や海外からの復興支援ボランティアが集まり、加工場や商店街でのEM散布に繰り出していきました。


当時、EM関係者が支援した地域をまとめた地図。赤線で囲われた場所をクリックすると支援内容が表示される。

「EM関係者だけでなく、これまで縁もなかった学生さんや外国の方々が大勢ボランティアで駆けつけてくれ、初めてのEM散布を躊躇なく受け入れ効果を認めてくれるなど、本当に有難かったですね」と話す足利さんが常に肝に銘じているのは、緊急の場合だからこそ、必要とする場面に最適で良質なEM活性液をつくることだと言います。

当時の新聞記事。EM散布中の足利さんや避難所や市内でEM散布する県外からのボランティアが紹介された(記事提供:三陸新報社)
当時の新聞記事。EM散布中の足利さんや避難所や市内でEM散布する県外からのボランティアが紹介された(記事提供:三陸新報社)

◆住民らとクリーン大作戦

気仙沼漁港は大型マグロ漁船が停泊、冷凍マグロをはじめとしてサメやサンマ、イカ、サバなどの水産加工場が多く、いたるところに大型冷凍・冷蔵庫を設置する倉庫がありました。これらのほとんどが津波によって流され、解けてしまった魚類ががれきの中で腐敗し、発生する悪臭と肥大化したハエが真黒な集団となって住民を悩ませていました。特に、現在「東日本大震災遺構・伝承館」になっている向洋高校があった波路上(はじかみ)地域では、水田に大量の魚類ががれきに混じって打ち上げられ、悪臭は周辺一帯に拡散。このため、住民たちは足利さんに協力を要請し、「EMアグリ・フィッシュ・クリーン大作戦」を展開しました。記者もこの大作戦にボランティアで参加していましたが、約10ヘクタールの水田に大型噴霧器4台と携帯用小型噴霧器数台、ジョウロやバケツ組が加わり、約100tのEM活性液と約300kgのEMボカシをまんべんなく散布し続けました。この様子は地元紙三陸新報に編集長コラムで「EM散布で悪臭が緩和」「百聞は一見に如かず」などと詳細に紹介されました。

三陸新報編集長の自宅庭を開放して行われたEM散布大作戦
三陸新報編集長の自宅庭を開放して行われたEM散布大作戦
ジョウロやバケツのローラー作戦でEM散布するボランティアら
ジョウロやバケツのローラー作戦でEM散布するボランティアら

◆効果発揮した特製EM活性液の中味は・・

当時を振り返って足利さんに”足利さん特製EM活性液”の効果と作り方を聞きました。
まず、遺体安置所は保健所などが散布する薬品や消臭剤では解消できない独特のニオイであること。また、サメをはじめとする魚類の腐敗臭も通常の消臭方法で処理するのが難しいことは直面する誰もが承知していました。そこで、震災前にサメの残渣を堆肥化するミール工場で脱臭成果を上げていた足利さんのEM技術に期待が寄せられたのでした。その中身は、「EMに薬草をブレンドしてつくった特製EM活性液」で、ブレンドの割合はその都度、状況に応じた”勘”だと言う。日頃から幾種類のハーブや薬草(ヨモギなどの山野草)を蒐集して乾燥・保存し、試行錯誤で編み出した特製ブレンドで、完成度は”味を見て”決めていたとのこと。そんな足利さんにも「これで大丈夫かな・・」と不安に思う場面がありました。波路上地区でのEM散布は大量の特製EM活性液を必要としたため仕込みが間に合わず、足利さん曰く、「8割がた完成していましたが、未完成の特製EM活性液を使ってしまった・・」とのこと。それでも現場では確実に効果が発揮され、「EMさんお願いします。EMさんありがとう!EMさんはすごい!」の心境だったと述懐します。

<上>波路上地域から海側を望む。かってあった4階建ての向洋高校(写真右側)は波に飲まれた。周辺にはがれきと腐敗した魚が累々と転がっている。(2011年5月撮影)
<下>災害を伝える「伝承館」となった向洋高校と周辺に広がる整備された水田(2023年3月撮影)
<上>波路上地域から海側を望む。かってあった4階建ての向洋高校(写真右側)は波に飲まれた。周辺にはがれきと腐敗した魚が累々と転がっている。(2011年5月撮影)
<下>災害を伝える「伝承館」となった向洋高校と周辺に広がる整備された水田(2023年3月撮影)

◆助かったいのち

「復興の妨げになる悪臭が解決したから、あとは行政にバトンタッチ」と足利さんの復興支援ボランティア活動は1年間をもって終結し、本業のEM活動に戻りました。更地になった南町一帯は土盛りされ、復興住宅や仮設店舗がつくられました。ここで5年間営業したのち現在の赤岩牧沢地区に落ち着いたのですが、そんな矢先、これまで顧みることがなかった体調に変化が。2017年6月脳梗塞を発症、以後2度の脳梗塞と心筋梗塞に見舞われました。もうダメかと思われた3度目の脳梗塞でしたが奇跡的に助かり、現在は週1回デイサービスに通い、リハビリで始めた色鉛筆画を楽しむ日々です。「EMで奉仕する。それが私の生きがいでした。EMに出会って最高の人生を送らせてもらっています」と語る足利さんの表情はとてもにこやかです。


<記者感>
首都高速を抜けて、常磐自動車道を経て一路気仙沼市へ向かう途中に見えたのは福島県内インター間に示された放射線量の数値。所によっては2.1マイクロシーベルト/hの高い数字に驚き、低いところでも0.1マイクロシーベルト/hであり、福島第一原発事故から12年経っても・・の現状を数字で知らされました(2023年3月23日現在)。かつて、沿線の至る所で見られた除染廃棄物を入れたフレコンパックも跡形無く、2019年秋の大型台風で河川に流出したといわれていて、慄然とします。気仙沼市内に入ると放射線量は0.05~0.07マイクロシーベルト/hの範囲。市内で見る震災の傷跡は、防潮堤・防潮壁の工事が未だに続いている現場と足利さんの体調でした。当時ボランティアで参集した多くの若者や外国の方々へEM散布の方法を笑顔で説明していた足利さんでしたが、疲労困憊した体に鞭打っていたのでしょう。
今回の訪問に際し、足利さんに特製EM活性液の詳細を明かしていただく期待がありましたが、津波ですべての資料を流され、記憶していたレシピも失せていました。お話で得心したことは、足利さんの”勘”とは、体験に基づく確信であり、現場における結果が全てを語っていると。(文責:鹿島)

気仙沼漁港の対岸・気仙沼大島の沿岸では防潮堤・防潮壁工事が今も進められている(2023年3月撮影)
気仙沼漁港の対岸・気仙沼大島の沿岸では防潮堤・防潮壁工事が今も進められている(2023年3月撮影)